Cristallina Architecte | クリスタリーナアーキテクツ

Architecture with European inspiration & Japanese sensibility

- Design Journal

パリのハーフティンバー

11/04/2016

季節はすっかり春となりました。 空に向って大きく枝を伸ばした桜の大木の淡いピンクの雲に包まれて、その下を通るのはとても心地よいですね。
最近、段ボール箱に入れっぱなしのまま、小屋裏に眠っていたパリの建築学生時代のノートや、図面などを整理していたら、懐かしい課題レポートがでてきました。
miron paris
拙いですが、これは選択科目で古い建築物の修復保存の授業をとった時のものの1つです。
パリは19世紀、オスマン市長により大々的都市整備がなされ、今日の姿をとどめています。チャコールグレーのスレートを使ったマンサール屋根、彫刻の入ったアイヴォリー色のライムストーン積みの壁、美しい曲線のロートアイアン手摺、と、ネオクラシックな外観の建物が立ち並びます。
そんな中に、突然、周囲と調和しながらも意表を突くように現れるハーフティンバーの建物。パリにもハーフティンバーが残っているんだ!と珍しく思いながら、現地でスケッチしたり、図書館で資料を集めたりしました。
ハーフティンバー、harf timber framing は英語ですが、フランス語だと、pans de bois とかcolombages と言います。 12、3世紀に発達した中世ヨーロッパの民家を特徴づける木組構造です。
外観に露出した梁、柱、筋交いの木材で構成され、壁体に石やレンガを使用し、断熱材として(冬は室内を暖かく保つ)家畜の糞や藁で隙間を埋め、漆喰で塗り固める工法です。
ハーフというのは、半分は木材ということから由来しているのが一つの説です。
当時は構造体でしたが、現在は、外観に化粧材として貼られ、修復されたり、意匠的に施されたりしています。 日本でも、カントリーハウス調のデザインに好んで使われていますよね。
北フランスはルーアンやシャルトル、南下すると、ドイツと国境を接するアルザス地方はもちろん、ドイツ、そして、イギリスはシェークスピアの故郷等を訪れると多く見かけます。
よく、道路の両側にせり出して建っていますが、それは、部屋の面積を少しでも広く取るためで、2階から順次階数を追って片持ち梁で張り出されています。 その下には彫刻の入った立派な方杖が見受けられます。屋根はトラス構造の切妻型で、破風に木材で大きなアーチ状の鼻隠し飾りが施され、急勾配の内部は屋根裏部屋となっています。
パリはセーヌ川の流れるど真ん中にパリ発祥の地であるシテ島とサンルイ島という中島があります。
今思い出すと幸運だったと思うのは、偶然にもセーヌ川を見下ろし、ノートルダム寺院が目前に見え、パリの街並みが一望に見えるシテ島の最上階の学生用のアパルトマンに住むことができたことです。サン・ミシェルや学校のあったサン・ジェルマン・デプレ、ルーブル、ボブール(ポンピドゥー)、オペラ座、等々、どこにも徒歩で行けました。
この課題レポートを作ったハーフティンバーの建物(1450から1480頃に建築、1966年修復)は、そのシテ島から橋を渡って、サンルイ島を横切り、更にセーヌ右岸側に橋を渡ったすぐの所に2軒、仲睦まじく並んで建っています。
まるで時を超えて、古風な2人の尼僧が奥ゆかしく寄り添って佇んでいるかのような雰囲気がありました。
この辺はマレ地区と呼ばれ、中世期からの建物が多く保存されている界隈です。
地震もなければ、多湿でもないし、焼失することもなく、中世の建物を残すことができたということもあるでしょうが、古い建物を財産として修復保存し、大切に継承して行くという精神が根付いていることはとても羨ましく思います。
東京は戦後焼け野原の何もない所から高度成長期を経て、目まぐるしいほど次々と新しい建物が立ってきた都市です。 何百年も前から形成され続け、保存され、修復、改修、改造されながら、長い間古い街の姿をとどめてきたパリとは全く別の空間です。 もともと古いものはあまり残っていないし、「えっ!壊してしまうの?」と惜しく思いながら、姿を消していった建物もたくさんあります。
建築は建てる時、25年後、50年後、75年後、そして100年後、どうなっているだろうか?と見据えながら建てられてほしいと思います。
そして、長く愛される美しさ、耐久性、メンテが加わることによって、建てたり壊したりの繰り返しで、地球温暖化につながるようなことなく、時間の流れによる自然淘汰を乗り越え、愛着を持って受け継がれ、寿命の長い建物となって行くのだと思います。

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